市民のための美術入門3、抽象絵画のすすめ

描いてみたい人のための抽象絵画の考え方や描き方や入り方などについて、できるだけわかりやすい言葉で書いていきたい。姉妹編「1、油絵のすすめ」「2、デッサンのすすめ」とで「絵画とは何か」にも行き着きたい。

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続・公募展について

 そこでまず公募展の価値と問題点、長所と短所を考えねばなりませんが、それは見る立場によって異なってきます。主催者側と出品者側とは異なりますし、この国の公募展はもともと公によって興され支配されてきた経緯があり、そこには国家的な権威主義的階層性(ヒエラルキー)がもともと備わっていたと見るべきで、いわゆる画壇の登竜門と言う見方です。公募展の価値はまずここにありと見られてきたのです。
 ここで画壇とは何かが問題になりますが、簡単に言えば公の立場から見れば国の美術文化を代表する選ばれたる選良としての作家群となるでしょうし、更にその実際の中身は、選ばれた小数の作家とそれに寄生する画商や美術ジャーナリストなども含めて構成される漠然たる、しかし隠然たる勢力を持つ集団が画壇と言うものだと思ってください。これに入り込めないと絵が売れない、絵で飯が食えないと言うことで隠然たる勢力が生じるわけ。
 その画壇に取り込むべき才能を選別する手段として、つまり登竜門ですね、公募展が設立されたと見れば良いでしょう。これはフランスでも同様で、20世紀初頭まで画家として食えるか否かはル・サロンに入選するか否かにかかっていたのです。日本では未だにこの考えが強く残っており、特に日展に代表される旧官展系の公募団体は未だにそこにレゾンデートルを置き、権威と画段との密接な関係の維持に躍起になっております。その他第2次大戦前後辺りから分裂を繰り返して生まれてきた大規模公募展、例えば二科や二紀や独立あたりにもその傾向は顕著に残っていますし、殆どの公募展にはその残滓があり、それがそれぞれの内部で封建的な上下関係などの重苦しい人間関係を生み出しています。
 更にこのことの影響は、困ったことに作品の上にも顕著に現われており、団体内上級者の模倣だけではなく、審査での受けを狙ったり会場で目立ちたがったりする所から大作主義に陥り、しかも本来の調和の美しさや表現的な用法に係わらずとにかく無闇と強い配色を使ったり意味ありげで人目を引く色彩や形態の乱用がはびこる結果を引き起こしています。多くの公募展では出品しても入選は一点だけですから、この過当競争は熾烈を極めることに成り、それらが並ぶ会場は無闇とどぎつい作品ばかりの羅列になって、見る人の目をうんざりさせる効果を遺憾なく発揮しています。まだ各公募展の設立期の洋行帰りの意欲的な作家たちが生き残っているうちは良かったが、それらが去ってしまった今、日本の画壇には本当に見て楽しめる絵を描く作家は見当たらなくなってしまいました。外国の作家の展覧会、モネやルノアールにしろピカソやポロックなどの作品に比べて見てもはっきり分る日本の画家たちの色彩的な貧しさの原因の多くは、ここから発していると考えられます。
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テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2010/03/30(火) 18:24:58|
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