市民のための美術入門3、抽象絵画のすすめ

描いてみたい人のための抽象絵画の考え方や描き方や入り方などについて、できるだけわかりやすい言葉で書いていきたい。姉妹編「1、油絵のすすめ」「2、デッサンのすすめ」とで「絵画とは何か」にも行き着きたい。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

おわりに2

 今では美術表現には「個性」が欠かすことの出来ない要件になっています。かつては、先生から弟子に受け継がれる「技術」が主役で、それを習得することがアーティストの第一の目標でした。しかし今、レオナルド・ダ・ヴィンチでもベラスケスでもレンブラントでもゴヤでも、そのものすごい技術に驚きながらも、我々にとってはそれぞれの個性の輝きに、彼らの才能の価値を認めています。
 ましたや現代の、無数と言って良いほどのアーティストたちの中では、より際立った個性に惹きつけれます。手先の器用さや技術の見事さも、今では一つの個性としてしか考えられません。うまければそれなりの、不器用な人にはまたそれなりの個性的な表現があってよいというわけです。しかしこのような個性万能のように見える時代にありながら、一方で無個性化がどんどん進んでいるなどとも言われています。個性とはなんなのでしょうか。
 小学校でも中学校でも、個性の尊重が叫ばれていますが、子供たちにとって本当に必要な個性とはなんなのでしょうか。確かに強制や画一化は困りますが、自由に勝手に生きることがそのまま個性の発現なのでしょうか。例えばこんな子供が図工や美術の授業で増えてきています。いいかげんにちょっと描いて投げ出して「私がこれでよいと言うのだから良いじゃない」と言うような。またある高校で生徒の要望を受け入れて制服を廃止したら翌日から学校中に同じような黒の革ジャンがあふれてしまったとか。今も続いている制服のミニスカート化や一頃全国的に広がって長く続いたルーズソックスとか言うような女学生のスタイルの画一化。本当の意味で自分は自分なりの独自の判断をもてると言うことは、そう簡単なことではないのです。

 ましてや誰もが個性を主張しているアートの世界で、際立った個性的な表現スタイルを勝ち取ることが如何に困難な問題であることか。例えば上野の美術館で開かれている公募団体展には、それこそこれでもかこれでもかと自分の才能や個性を印象付けようとする作品がひしめき合っていますが、その多量の作品群の中に記憶にとどまる個性はいくつあるでしょう。滅多にないのではないですか。
 以前読んだ本の中で「表現の個性的なスタイルを確立するには?」と言う問いに対して、何人かの現代の代表的なアーティストが答えていた中で「作っては壊し作ってはまた壊す。その絶えざる繰り返しのうちにしか本当のスタイルは表れないだろう」と言ったような答えがあったのが記憶に残っています。またこのことは如何に個性的な表現でも、それが誰にでも共通する普遍的なリアリティを持った表現になっていなければ、意味が無いのだということでもありましょう。個性的な表現の果てに「普遍性}、つまり誰にでも共通する造形言語とか言うべきものに到達せねば、個性の意味もないということです。これも現代の作家にとって避けて通れない上に、回答のなかなか得られない重い課題です。
スポンサーサイト

テーマ:抽象絵画のすすめ - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/12/29(金) 08:54:00|
  2. 絵画入門
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://dantuku.blog59.fc2.com/tb.php/107-7cbcb650
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。