さてあなたもいかがですか。好みの曲を聴きながらの、抽象絵画を試みてみませんか。集団の授業と違うので、一人では描きにくいかもしれません。そんなときは、一杯のアルコール性飲料が効果的かもしれません。とにかく気楽に直感的に描くことです。。なんとなく色を選んでなんとなく塗りたいように塗ると言うことで結構です。はじめはあてずっぽうでも、何枚か描くうちには曲のイメージに合ったと思える作品が出来てくるはずです。
色彩と言うものに日常慣れ親しんでいない方には、色彩の持つ感情を読み取れるようになるまでに時間が必要かもしれません。色彩にも音にも、明るい暗い、軽い重い、鋭い鈍い、暖かい冷たいなどの性格の違いがあるのです。
学校の授業では、前もって配色や構成の練習を行っている方が結果が良く出ます。しかし音楽の好きな人なら、音感と色感を結びつける感覚は容易に得られるはずですし、誰でも何曲か試みるうちには自然な表現ができるようになって、面白くなってくるはずです。形に関してもなんとなく丸っこい感じの音とか、太い音細い音あるいは直線的とか曲線的とかと言ったように、音からいろいろな形体を連想することができると思います。 【“目に見えないものを描く3”の続きを読む】
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テーマ:抽象絵画のすすめ - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2006/07/29(土) 09:49:07|
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選曲には苦心しました。私の音楽の趣味はクラシックですが、ジャズやポピュラーも嫌いという訳ではなくて、FMの放送などをただなんとなく環境音楽的に聞き流しに聴いていることはあります。ただ、絵に描くと成るとやはりクラシックの方が良いのではないかと思います。連想されるイメージや色彩の幅が広いと感じるのです。もちろん皆さんはそれぞれの好みで選んでいただけばよいのですが。
生徒の中にはクラシックと聴いただけで、頭が痛くなるようなのもいますから、最初の曲には耳慣れない現代曲を聞かせて「これは何だ?」と言うような意外性をもたせたり、ガーシュインなどのジャズっぽいのも含めたりして、なるべくイメージや色彩を誘い出しそうな曲を選び、テープにとって置いて聞かせます。一例を挙げますと一曲目がエドガー・バレーズの「イオニザシオン」、これは打楽器にサイレンを組み合わせた騒音音楽に近い現代曲です。2曲目にはガラッと変わって叙情性の高いベートーベンのピアノソナタ「月光」、その次がシベリュースの壮大なシンフォニーの「フィンランディア」そして軽快なガーシュインの「パリのアメリカ人」と続いて最後がドゥビッシーの幻想的なゆったりした雰囲気の「牧神の午後への前奏曲」といった具合です。
【“目に見えないものを描く2”の続きを読む】
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- 2006/07/28(金) 10:16:28|
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ポール・クレーと言う画家をご存知でしょうか。スイスの出身で、最初の抽象画家として先に挙げましたカンディンスキーとは、ドイツに出来た最初の近代的デザイン建築学校バウハウスにおいて教授としてともに勤めていたこともあって、やはり抽象美術の草分けの一人です。音楽についての造詣も深く、バイオリニストとしては一流の腕前だった言われています。
そのクレーの言葉に「美術は目に見えないものを見させるものなのだ」と言うのがあります。この言葉は具象も含めてあらゆる優れた美術作品に不可欠の要因として「目に見ええないもの」つまり「精神的なもの」の表現が重要であることを示している言葉なのですが、これを字義通りにとって抽象美術に当てはめると大変わかりやすいことになります。「抽象絵画は目に見えないものを目に見えるようにすることだ」と言うように。目に見えないものを描こうとすれば当然具象的な形態は使わないことになり、必然的に抽象絵画が生まれてくると言うわけです。
クリックして見てください 【“第2章 とにかく描いてみよう 1、目に見えないものを描く”の続きを読む】
テーマ:抽象絵画のすすめ - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2006/07/27(木) 18:33:48|
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私の実際の感覚から言うならば、抽象ばかり描いていると神経の一部が妙に疲れてきて制作意欲が減退してしまうのです。いらいらしてきますし空虚感にも悩まされるようになります。そんなときには、フトそよ風に吹かれながらの風景のスケッチなどを思い浮かべるのです。自然の豊かな色彩や光の変幻の中に身をおいて、一日を過したくなるのです。また美しい花や果物を見れば、そこにあやふやで揺れ動いている内面世界より確かな存在感を持つ美しさを感じて、描写してみたくなるのです。
だからといって写生やデッサンばかりでは、もどかしくなってしまいます。もっと自由に勝手に自分の独自の王国を作り出して見たい、わたしがいまぬりたいとおもう色で描きたい形を描いてみたい。
ということで、この両者が車の両輪のように支えあい補完しあって、私の表現生活の終わりの無い探求を継続させてきたのです。
武川から鳳凰山(朝)吉田敦彦 [クリックして見てください] 【“なぜ、抽象絵画、か?8”の続きを読む】
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- 2006/07/26(水) 09:50:34|
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私が指導している公民館での一般市民の絵画サークルでは、中高年初心者が多いことと、月2回だけということもあって、主に静物のでデッサンや写生画を描いてきました。ところが私が抽象画を発表しているものですから、抽象画も描いてみたいという希望が出て、以前に高校の授業でやっていた抽象絵画入門の授業のやり方をもとにして描いてもらう機会を持つようにしてみました。高齢の方などの反応はどうかなと思ったのですが、皆さん熱心に取り組んでくださいました。その後年ごとに何回か、抽象的な課題の作業を繰り返してきましたが、これを始めて間もなく描写の絵の方にも変化が表れて来ました。色彩の使い方と構図の取りかたに個性的でのびのびとした自由な感覚が出てきたのです。この変化は驚くほどはっきりした形で表れました。上手い下手とは関係の無い画面としての個性的な魅力が表れてきたのです。特に色彩が鮮やかになりました。
私自身は学生のうちに受けた加藤先生の影響などから、意識して具象的な形体を画面から排除して抽象的な作品を描き続けてきました。しかしまた、デッサンや風景画なども機会あるごとに描いてきました。
幻日(P80)吉田敦彦 [クリックして見てください。] 【“なぜ、抽象絵画、か?7”の続きを読む】
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- 2006/07/25(火) 09:26:39|
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「うまい」「きれい」「そっくり」この三つが多くの場合絵画作品に対する賞賛の言葉として用いられますが、これらは描写の技術に対する賞賛の言葉であって、絵画によって得られる感動はもっと別なところにもあるのではないかということがあり、何も描かれて無い絵にも、感動を呼び覚ます力があるのではないかということです。
結構、身なりも風采も立派な紳士などが「抽象はわかりません」などといとも簡単におっしゃる。それなら具象ならわかるのかと聞き返したくなります。「うまい、きれい、そっくり」以上のものを感じておられるのかどうかと。もっとも抽象絵画がわかりにくいのも事実かもしれません。何か形があれば何を描こうとしたかくらいはわかるから安心できますが、何も形が描かれてないと取り付く手がかりが無いとみえるのでしょう。
ここでは「絵画がわかると言うことはどういうことなのか」という問題に突き当たりますが、この問題は大変に大きくて難しくて、簡単に説明できるものではありません。これから書いていくこのブログ全体の重要なテーマの一つになるだろうと思います。ただわからないから難しい、難しいから描けない、と言うものでもないのです。
【“なぜ抽象絵画、か?6”の続きを読む】
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- 2006/07/24(月) 08:36:45|
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とにかく抽象絵画に対する否定的な意識が、その一点を見たことでひっくり返されてしまったのでした。上手い下手とは違う感動が絵画にはありえるのだと言うことにはっきりと気付かされたのでした。
大学(文学部です)に入ってからは、母校の高校の美術の先生が主催するデッサンの研究所に通うようになりますが、そこでまたその先生と親しかったこの抽象画家とも親しくしていただくことになり、作品もいくつか見せていただく機会に恵まれ、作品の批評も頂き、たちまち私の作品は抽象的な傾向を強めていきました。
その方はお名前を加藤正衛と言い、中央の画壇にはほとんど没交渉であったため未だに全くの無名の存在ですが、仙台という一地方都市の一隅に住み、大学の医学部の顕微鏡下の図を描く画工としたのわずかな給料で家族を養いながら、仕事の合間のもっぱら夜間にひたすら自分の画境を深めていた人でした。
若い頃から優れた才能を持ちながら、絵を買ってやろうと言う金持ちから、絵の描き方やモチーフの選び方や配置にまでくだらない注文を付けられたときに「もう絵は売るまい。生活費は職について稼いで、作品は自分の描きたいように描いていこう」と決心したと言うことでした。
【“なぜ抽象絵画、か? 5”の続きを読む】
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- 2006/07/23(日) 09:57:27|
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それでも高校の2年くらいまでは、何も描いてない絵なんて絵じゃないと思っていたようです。やはりそっくりに描く技術のうまさに感動するほうがわかりやすかったのでしょう。展覧会を見に行っても、うまくそっくりに描かれた絵にばかり目が行って、もっぱらうまい下手だけで作品を見ていました。
そのころ私の父は、戦時中に台湾拓殖とか言う植民地政策のための会社にいたのが祟っての、公職追放(一種の戦争犯罪人扱い)と言う身分で、まともな職業には就けずにいましたから、持ち前の語学力を生かして、東北大学(仙台に住んでいました)の医学部の隅に机を借り、医学関係の論文などの翻訳をして家族の糊口をしのいでおりました。
その父の机の隣に、顕微鏡下の世界を描き出す画工がいまして、なにかと親しくしておりました。その方はめったに作品を発表しない画家でもありましたが、たまたま今度の展覧会にその方の作品が出るよと父に聞いて、その展覧会を見に行ったのでした。これが私の本当の意味での抽象絵画との最初の出会いになったのです。 【“なぜ抽象絵画、か?4”の続きを読む】
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- 2006/07/22(土) 09:23:01|
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私の経験の中で、はじめて絵画に愛を感じたのは、中学校の2年生のころだったのではないかと思います。
まだ戦争後の混乱のおさまりきらないころで、美術書の出版も少なかったし、我が家の家計も苦しかったのですが、小型の廉価版の画集が発行されるようになって来ていて、たまたま父が買ってくれた本の中のボナールと言う人の作品集を見ているうちに、突然なんともいえない良い気持ちが心の奥底から湧き上がってきたのでした。それは今思えば主に色彩の調和によるものだったと思います。
確かにそれは風景画で青い海や空や黄と緑の木々の間に点々とと赤や紫や白の建物が描かれていたのに違いありませんが、それほどそっくりとかうまくとか描かれていた訳でもないのに、なぜかしら引き込まれて、切ないくらいに心が躍ってくるのでした。その気持ちをあえて言えば愛とでも言うより仕方なかったと思います。
【“なぜ抽象絵画、か?3”の続きを読む】
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- 2006/07/21(金) 09:32:16|
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さてそこで問題は、なにかが描いてあるかどうかというときの「何か」とは何なのかと言うことです。そして何も描いてないと言うことは本当に何も描いてないのかと言うこともあります。
例えば美しい女性が描かれてあれば、特に年頃の男性でなくても感動します。感動と興奮の違いもこの場合問題にしなければならないのかもしれませんが、とにかく美しいもの、つまり人や花や山や海が描かれていれば美しいことに違いは無いわけで、それがそっくりに描かれていればいるほどその絵も美しく見える。が、しかし、それではそのモチーフになっている花や女性の顔がなぜ美しく見えるのかと、更に一歩突っ込んで考えていくとさあ簡単にはわからない。
人の顔が全て美しいとも言えなくて、個性まちまちいろいろな顔がある中で、ミス何とやらのような飛びぬけた顔がなぜ存在するのか。立てばシャクヤクすわればボタンとか言って、女性の美しさは花に例えられるのですが、まさか顔の形や色が花に似ていると言う訳でもありますまい。また、その花自身の美しさとは一体どこから生まれてくるのかと考えを進めればどうなるのか。
【“続、なぜ抽象絵画、か?”の続きを読む】
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- 2006/07/20(木) 08:35:55|
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何も描いていない絵のことを抽象絵画と言います。
100年ほど前に、何も描かなくても美しい感動的な絵が描けるんじゃないかということに、うすうす気付いていた画家がいました。その人がある夕暮れに自分のアトリエに戻ってきたときに、薄暗い部屋の片隅に、なんだか知らないけどとても美しい作品を見出しました。どうしてそんな絵がそこにあるのかもわかりませんでしたが、とにかく美しい。
ふと気を取り直して近寄ってよく見ましたら、なんと自分の描きかけの絵が逆さに置いてあっただけのことでした。そこで「なーんだばかばかしい」と終わりにしてしまわなかったところがこの人の偉いところで、つくづくそのことの意味を考えてみて、何も意味のある形が描かれていなくても、人に感動を与える絵が描けることに確信を持ったというのです。
その後この人の作品は急速に抽象化します。しばらくはなんとなく風景のようだったり物語の一場面のように見える作品でしたが、ついに参考図版の下のような全く形の無い抽象絵画を描くようになるのです。このカンディンスキーが最初の抽象作品を描いた画家であったかどうかには実際は疑問もありますが、彼は自分の経験に基づいて抽象絵画の可能性を理論的に裏付ける本も書きましたし、その後一貫して純粋に抽象的な作品を描き続けたことで、一般に最初の抽象画家と言われています。
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- 2006/07/19(水) 09:31:39|
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前に書いた「デッサンのすすめ」の終わりの方に「デッサンや描写も良いが、絵画は表現なのだから、自分自身が描きたいものを描くことも大事。」と言うようなことを書いたと思います。「そして何も形を描かないで済む抽象表現は誰にでも描けるはずである」とも書いたと思います。なぜなら抽象表現はそっくり描く技術の上手下手などとは関係なく自由に好きな形や色を使えるのですから。そして、自然に色彩や形体に関する感覚を養うということでは、デッサンと並ぶ絵画の基本的なトレーニングにもなると考えています。
やってみればどうと言うことは無いのです。抽象の鑑賞の仕方が分からないと思っている人でも描けます。だれにでも出来ますし、何も難しく考える必要の無い直感的な作業です。だからそのやり方についてなどは、1ページも書けば済んでしまいそうですが、ここでは関連で参考になりそうなことも含めてあれやこれやと書いていくことになります。ただし抽象表現もデッサンと同様奥は深いのです。道は際限無く続いて、どこまででも辿れるのです。持続させるために必要なことも含めて、いろいろと書いていこうと思います。
【“続々、抽象絵画はわからない、か?”の続きを読む】
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- 2006/07/18(火) 09:14:29|
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とにかく抽象絵画はまだまだこの国では敬遠されているようです。見てもわからないから難しいものらしいとして、更に敬遠されているのでしょう。抽象絵画を描く奴なんてのは気違いか、アインシュタイン並の天才的感覚なり頭脳なりの持ち主に違いないと思われているらしくて、それを自分がやるなんてことは到底できっこないことと思い込んでいる方が多いのではないですか。
最初の近代的抽象絵画が描かれてから既に100年が過ぎ、世界規模で見ると既にそれほど特殊なものではなくなり、美術の一ジャンルとしてきちんと位置づけられているのに、この国の現状はまだまださびしいものです。
いまや生涯教育の時代。あちこちの公民館などでは無数の文化サークルがあり、またカルチャーセンターでは多種多様の講座が受講者を集めていて、その中で絵画関係のものは結構多いのですが、抽象絵画を描きましょうと言うようなものはめったに見当たりません。水彩画とか油絵とかデッサンとか墨絵や絵手紙などの具象描写の絵画の会ばかりです。 【“続、抽象絵画はわからないか?”の続きを読む】
テーマ:抽象絵画のすすめ - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2006/07/17(月) 09:54:18|
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抽象絵画は売れません。アメリカ辺りではそうでもないようですが。この国ではまだ、展覧会場で「抽象絵画はわからない」と言ってもコケンにかかわるようなことは無いのです。「どうせ誰にもわかりゃしないのだろうし、わからなくても何も困ることは無い」と多くの人が思っています。だから売れません。
現代美術に関する著書も多い著名な美術評論家に、私の個展の会場で「私は抽象はわかりません」とまず言明されてしまって、返事に困ったことがありました。
例えばアメリカやフランスの映画を見ていて、ドラマの背景が現代のオフィスや家庭であったりして、その壁面に掛かっている絵がたいてい抽象絵画であることにお気づきではありませんか。現代の映画作家のプライドによるものかも知れず、現代の雰囲気を表すためのものかもしれませんが。
引き換えて日本の映画やテレビドラマの背景には抽象絵画どころか絵が現れること自体が珍しいようです。それは住宅の作り方の違いによるかもしれません。古来の床の間と言うアートスペースが廃れて、せいぜい玄関や応接間の壁の一部位しか絵画を展示できる場所がありません。そこにせいぜい印象派風かイラストタッチあるいはメルヘン風の油か水彩か版画などの小品が掛かっていれば良い方で、大型の抽象絵画などまず考えられません。オフィスとなるとなおのことで、ただひたすら機能的かむやみと雑然としていてアートの出る幕などありません。テレビのニュースに出てくる官邸などでも同じこと。
モダーンな現代風のホテルの大きなロビーホールのかべに、あいも変わらず鈍い色調の金色の鯉などの絵が掛かっていたりします。マグロかと思えるような大きなのが空中を泳いでいます(水中のつもりで描いたのでしょうが)。鯉の代わりに、色彩鮮やかなサム・フランシス調の大作でも掛けてあったならばそこの雰囲気もぐっとモダーンなものになったでしょうに。

「失われし者たちへ」130号F
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- 2006/07/16(日) 08:54:28|
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