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<title>市民のための美術入門３、抽象絵画のすすめ</title>
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<description>描いてみたい人のための抽象絵画の考え方や描き方や入り方などについて、できるだけわかりやすい言葉で書いていきたい。姉妹編「１、油絵のすすめ」「２、デッサンのすすめ」とで「絵画とは何か」にも行き着きたい。</description>
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<title>困難</title>
<description> 　またまた、キャンバスとのにらめっこが続いています。「そのつど描きたいものを描きたいように描いていくこと」の難しさをつくづくと感じさせられています。こんなときは写生やデッサンが気楽で良いなと思えます。対象というものがあってそれに従って描けば良いのですから。　描きたいものがつかめない、微かなものでも良いから、何らかの手がかりになるイメージが与えられれば良い。出発点になる一つの色彩、一つのフォルム、そ
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<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　またまた、キャンバスとのにらめっこが続いています。「そのつど描きたいものを描きたいように描いていくこと」の難しさをつくづくと感じさせられています。こんなときは写生やデッサンが気楽で良いなと思えます。対象というものがあってそれに従って描けば良いのですから。<br />　描きたいものがつかめない、微かなものでも良いから、何らかの手がかりになるイメージが与えられれば良い。出発点になる一つの色彩、一つのフォルム、それがなかなか現われてくれない。<br />　以前はこんなときは絵の具をぶちまけたり流したり垂らしたりふき取ったりして、画面に出来る偶然の形を手がかりに仕事を進めたものですが、それらがどうも本当の自分の気持ちとは別な世界に導いてしまう危険性が高いことが分ってきて、近頃はしません。最初から筆で自分の選んだ色彩を描きたい形に塗ることから始めます。<br />　しばしば他人の作品や自分の過去の作品のイメージの誘惑がありますが、その都度否定します。新たな空間の創造こそと思うからです。そうなると全く手がかりが無いのです。何か自分の内面から溢れてこないことには手が出ません。それを待ってキャンバスとのにらめっこが続きます。</span> ]]>
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<dc:subject>絵画</dc:subject>
<dc:date>2009-11-12T10:05:02+09:00</dc:date>
<dc:creator>Dantuku</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>抽象はなぜわからないか</title>
<description> 　ピカソの言葉に「人はなぜ絵を理解しようとするのか。小鳥のさえずりは理解せずとも愛することが出来るのに。」といったようなのがあります。　抽象絵画を見て「わからない」という人は、そもそも絵の見方が分っていないのです。山や花や人の顔が描いてあれば、それで分かったと安心してしまう人。それでは描いた人がなぜそれを描いたか、それを描いたことで何を見る人に伝えたかったかなどの肝心なことはわからないのです。ある
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<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　ピカソの言葉に「人はなぜ絵を理解しようとするのか。小鳥のさえずりは理解せずとも愛することが出来るのに。」といったようなのがあります。<br />　抽象絵画を見て「わからない」という人は、そもそも絵の見方が分っていないのです。山や花や人の顔が描いてあれば、それで分かったと安心してしまう人。それでは描いた人がなぜそれを描いたか、それを描いたことで何を見る人に伝えたかったかなどの肝心なことはわからないのです。あるいは花を見ても、「花は美しい」と誰もが言うから美しいのだと判断して安心してしまうような人もいるのではないでしょうか。花や山や海を見て心の底から良いなーと感動する。あのような感動が絵を見るに当たっても生じないのかということです。海だから花だから美しいのではなくて、その色や形や表情などなどから自然に心が受ける感動と同じような心の動きがあってこそ、絵も分ったと言えるのです。<br />　作者が感動を持って描いた絵画に対して素直な気持ちで向かい合えば、その感動が伝わってくるはずです。理屈で考えようとしても無理です。音楽に耳を傾けるような気持ちで、絵画も見ていただきたいものです。抽象絵画に限らずレンブラントやゴッホなどの絵を見るときでも、同じ気持ちで見ないと、本当の意味でその絵をわかることは出来ないのです。<br />　ただし感動は必ずしも美しいとか快いとか言うものとは限りません。おもっ苦しいなーだったり異様だなーであったりショッキングだったりの場合もあります。描く人の感動もマチマチなら見る側の心の常態もマチマチでしょう。ですから虚心坦懐に向かい合っても何も感動を感じないという場合は、それは仕方がないと言うことで鑑賞をあきらめざるを得ないこともあるでしょう。作品に感動が欠如しているか作者の発する波長に一致できなかった場合など、いろいろあるでしょう</span>。 ]]>
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<dc:subject>絵画入門</dc:subject>
<dc:date>2009-10-12T09:48:58+09:00</dc:date>
<dc:creator>Dantuku</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>黒と言う色</title>
<description> 　秋のシーズンが始まって、上野と六本木の二つの美術館では公募展が始まっている。私の属している会でも出品作の審査が終わった。気になったのは昨年にも増して黒い作品が多かったように思われること。現今の社会情勢の先の見えなさや、若い人に夢の持てない時代であることなどが黒い色を増やしているのかもしれないが、黒や灰色の無彩色が幅を利かせて色彩の喜びを感じさせる作品が影を潜めてしまっていることはさびしい。　黒と
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<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　秋のシーズンが始まって、上野と六本木の二つの美術館では公募展が始まっている。私の属している会でも出品作の審査が終わった。気になったのは昨年にも増して黒い作品が多かったように思われること。現今の社会情勢の先の見えなさや、若い人に夢の持てない時代であることなどが黒い色を増やしているのかもしれないが、黒や灰色の無彩色が幅を利かせて色彩の喜びを感じさせる作品が影を潜めてしまっていることはさびしい。<br />　黒と言う色そのものは色としても美しいし、有彩色以上にニュアンスの美しさを発揮できる色であるには違いないが、これを安易に使うと作品全体がどす黒く鈍くなり汚れた感じを生む。なにしろ黒などの無彩色はどのような色にも調和すると言うありがたい色であるために、これに依存してしまう傾向を生みがちだ。それでついつい画面全体の色に黒を混ぜて広げてしまう。一見まとまりがよくて深みや明快さも出るように見えるから、それでよしとするのである。<br />　日本の過去の作家たちでもこの呪縛から逃れている方は少なく、国際的な展覧会などで他国の作家と比べれば色彩の単調さや鈍さが歴然とする場合が多い。そこで私は黒を使い慣れてしまっている方々に暫く、数年の間パレットから黒を除去する経験をしてみて欲しいと思う。黒が無くても黒っぽい色は作れるし、黒の代わりに青を使うなど印象派辺りの絵の具の使い方を参考にすれば良いのである。それよりなにより黒を使わなければ多様な色彩の世界が広がるはずで、その中で苦労を積めばこの国の絵画の色彩的な貧困さを脱却した作品が作れるようになるはずである。<br />　ついでに言えば審査があり、会場に展示される作品が一点だけに絞られると言う公募展では、色彩の調和よりもどぎつさや目立ちたがる傾向が優先してしまい、その点でも色彩的なこの国の画界の貧しさを助成していると感じる。色彩はまず調和であり、感情表現の具としてももっと大切に扱うべきものであろう。画家である以上、多様な色彩をもっと自由に美しく使うべきである。</span> ]]>
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<dc:subject>色彩</dc:subject>
<dc:date>2009-09-09T08:17:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>Dantuku</dc:creator>
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<title>コンポジションと表現性</title>
<description> 　制作中の私の関心事は、ほとんどコンポジション（空間構成）に向けられている。一筆ごとに、与えられた空間（キャンバスという広がり）の中にバランスよく、時にリズミカルに時にムーブマン（動感）を工夫して、色彩を選び形体を決めて配置していく。その繰り返しのうちに何らかのイメージが生まれ、作品が出来上がってくる。こうして、与えられた空間を新たなリアリティーを持つ空間として創造しなおすことに、ひたすら憂き身を
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<![CDATA[ 　<span style="font-size:large;">制作中の私の関心事は、ほとんどコンポジション（空間構成）に向けられている。一筆ごとに、与えられた空間（キャンバスという広がり）の中にバランスよく、時にリズミカルに時にムーブマン（動感）を工夫して、色彩を選び形体を決めて配置していく。その繰り返しのうちに何らかのイメージが生まれ、作品が出来上がってくる。こうして、与えられた空間を新たなリアリティーを持つ空間として創造しなおすことに、ひたすら憂き身をやつす。<br />　しかし、そのつど与えられる設問に対する解答は一つではなく無数にあるといって良く、その中から一つを選んで決定していくと言う行為には、常に私自身の主体的な判断を要求されているということがある。それは一瞬の直感的な判断であるが、その判断のもとになるのはそのときの気分感情、長年にわたって培われてきた感覚や美的判断力、そして思索や連想などによる内面的な傾向や環境などなど要するに私の心身含めての全体から発するものなのだと思う。そこに表現性が生じる。<br />　私は常に美しい新鮮な空間を創造しようと心掛けているのだが、私の作品には怒りや不安の表現を感じると言われることがある。コンポジションだけが目的なら毎度同じような作品が出来るはずだが、気分や感情やそのとき置かれた環境などによって作品は変貌する。そこが面白い。新たな空間の創造の可能性が生まれる。与えられた情報や環境などからの精神的なショックなどにより、選ばれる色彩や形体やその置かれる形体の角度や面積が異なるのである。<br />　常にコンポジションの方向から新たな空間の創造を目指すが、制作の過程で表現性が自然に立ち表れて新鮮にしてリアルな空間の創造が可能になるのである。</span> ]]>
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<dc:subject>絵画</dc:subject>
<dc:date>2009-08-04T09:22:12+09:00</dc:date>
<dc:creator>Dantuku</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>７月になった</title>
<description> 　５月に描き始めた２００号は不満足のまま６月はじめに制作を打ち切った。６月に始めた１５０号も行き詰っている。毎度のことながら、苦しい時期だ。昨年は４月の沖縄旅行の印象が画面に表れて、２００号の方はわりとすっきり明るい感じでまとまってくれた。それでも一旦打ち切ったものを１５０号の後でもう一度引っ張り出して手を加えて、完成としたのだった。１５０号もその頃起きた悲惨な事件の印象が、途中からある程度制作の
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<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　５月に描き始めた２００号は不満足のまま６月はじめに制作を打ち切った。６月に始めた１５０号も行き詰っている。毎度のことながら、苦しい時期だ。昨年は４月の沖縄旅行の印象が画面に表れて、２００号の方はわりとすっきり明るい感じでまとまってくれた。それでも一旦打ち切ったものを１５０号の後でもう一度引っ張り出して手を加えて、完成としたのだった。１５０号もその頃起きた悲惨な事件の印象が、途中からある程度制作の方向付けをしてくれた。<br />　今年は最初から全く暗中模索で筆をすすめている。確たるよりどころとなるイメージが無く、ただひたすらそのときそのときそのとき良かれと思うように色を選び塗ってきた。たいていは制作のある段階で方向が明らかになってくるのだが、今年は一向にそれが現われない。キャンバスとのにらめっこが続く。これかなと思って筆を執りさえすれば、それでも結構夢中で筆をすすめるのだが、筆をおいてしばらく経ってみると不満が表れる。そこでまたそれに対応して手を加えていく。結果として画面は妙に複雑になりおもっ苦しい雰囲気になってくる。スッキリした作品を描きたいと言う気持ちに逆行して行くばかりだ。<br />　考えて見れば日常の生活そのものがスッキリしていない。何かしらもやもやした不安や行き詰まり感が私を取り巻いている。経済も政情も外交もモタモタモヤモヤで、環境でも財政でも負債を後へ後へと残すようなことの繰り返し。これでは未来に希望など持てはしない。総選挙が近づいているが、政権交代したところで大して変化は見られそうもない。その上私自身に付いて言えば、着実な老化の進行があり、肉体的に精神的にも年々弱っていくのが目に見える。そして誰にでも確実に来る終着点、無に帰ることへの不安。そんななかではスッキリした作品など生まれるわけが無い、混濁した表現しかできないのではないか、と腹をくくるしかないのかもしれない。</span> ]]>
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<dc:subject>絵画</dc:subject>
<dc:date>2009-07-01T08:50:07+09:00</dc:date>
<dc:creator>Dantuku</dc:creator>
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