5月に描き始めた200号は不満足のまま6月はじめに制作を打ち切った。6月に始めた150号も行き詰っている。毎度のことながら、苦しい時期だ。昨年は4月の沖縄旅行の印象が画面に表れて、200号の方はわりとすっきり明るい感じでまとまってくれた。それでも一旦打ち切ったものを150号の後でもう一度引っ張り出して手を加えて、完成としたのだった。150号もその頃起きた悲惨な事件の印象が、途中からある程度制作の方向付けをしてくれた。
今年は最初から全く暗中模索で筆をすすめている。確たるよりどころとなるイメージが無く、ただひたすらそのときそのときそのとき良かれと思うように色を選び塗ってきた。たいていは制作のある段階で方向が明らかになってくるのだが、今年は一向にそれが現われない。キャンバスとのにらめっこが続く。これかなと思って筆を執りさえすれば、それでも結構夢中で筆をすすめるのだが、筆をおいてしばらく経ってみると不満が表れる。そこでまたそれに対応して手を加えていく。結果として画面は妙に複雑になりおもっ苦しい雰囲気になってくる。スッキリした作品を描きたいと言う気持ちに逆行して行くばかりだ。
考えて見れば日常の生活そのものがスッキリしていない。何かしらもやもやした不安や行き詰まり感が私を取り巻いている。経済も政情も外交もモタモタモヤモヤで、環境でも財政でも負債を後へ後へと残すようなことの繰り返し。これでは未来に希望など持てはしない。総選挙が近づいているが、政権交代したところで大して変化は見られそうもない。その上私自身に付いて言えば、着実な老化の進行があり、肉体的に精神的にも年々弱っていくのが目に見える。そして誰にでも確実に来る終着点、無に帰ることへの不安。そんななかではスッキリした作品など生まれるわけが無い、混濁した表現しかできないのではないか、と腹をくくるしかないのかもしれない。
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- 2009/07/01(水) 08:50:07|
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私は私のホームページを作り上げたときには私を二刀流の画家として、描写と抽象表現の両輪があいまって私の表現世界を深めてきたと書いた。そのため両者を対等に扱ったホームページを作った。
今でもその基本的な考えには変わりは無いが、近頃は、やはり私の本当の仕事は抽象表現にあるのであって、描写は抽象表現のための感覚の練磨に必要な課程であるとして位置づけされるべきものではないかと思うようになって来ている。描写は私にとって、あくまでも感覚のトレーニングとしてのデッサンにすぎないのだとの判断である。
一昨日も仲間と出かけて、雪をかぶった春の山を油絵で描いてきた。楽しかった。モチーフの印象を如何にキャンバス上に再現するかはなかなか困難な仕事ではあるが、抽象表現に比べれば明確な対象があり具体的な指示が与えられているだけに、容易であり気楽な作業である。抽象表現の徹頭徹尾自己の感覚と判断に従って進めねばならぬ作業とは、全く異なった性質の仕事であると思う。テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2009/05/01(金) 09:47:18|
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